伊豆 下田 蓮台寺温泉/クアハウス石橋旅館/創業130余年の老舗旅館/(財)日本クアハウス協会会員
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2012年01月12日(木)  「伊豆」に生かされて
皆様、新しい年を迎え、いかがお過ごしでいらっしゃいましょうか。

今年は特別に世の平和を願い、平和でございますよう心よりお祈り申し上げます。

均て、過し日を回顧することは苦痛を伴うものです。良い事、悪い事も、うれしい事、悲しいことも、
来し方を振り返ることは、ほろ苦く忍耐と冷静な視点が必要でございましょう。
自己を信じ、愛し、謙虚な気持ちで省みることが大切と思われます。人と物との出会いと別れ、
いろいろな事象によるさまざまな経験、愛する人、物、事との別離の後悔、数々の思い出との決別がありました。
しかし、やまない雨などありませんし、トンネルの先には、仄かであっても光が射しているのです。
季はめぐり、春は必ずやって来ます。

時はいつも、誰にも、新しく、希望の衣をまとい、陽光は等しく輝き、なぐさめと勇気を与えてくれます。

人間の心と身体はとてもデリケートです。無理は禁物で少しずつ、一歩、又、一歩と、前を向いて歩み進めれば
良いのです。マイペースであせる必要はないと思います。
もう少しで、夜は明けて来ると確信したい気持ちです。

ふと目を、点づれば、自然の営みは花を芽ぶかせ、
寒さもゆるみ初め、遠山はうす紫にかすみ、季の移り変わりは、歩みを進めているのです。
去来する思いは行きつ、もどりつ、時は止まっているのに・・・・・・。しかし、冬は去り、春はやって来る。
河津桜も、もうすぐそこまで芽ぶきの出番となるのです。

この世の不条理に思い残すことも無く、時は流れ、切なく許し難く、心は落ち込み、ため息の日々があるでしょう。

伊豆でも過去に度重なる地震や水害につらい思いを重ねておりますので、自分の事のように悲しく、つらい、この年月でございました。
春が来た事も実感することもなく過ぎ、夏は節電に明け暮れ、いつもの夏より大勢のお客様におどろき、それこそ無我夢中の日々の中で過ごした。

知人である、ある有名なバイオリニストは、あの後、ショックでしばらくの間、バイオリンを弾くことが出来なかったと聞いた。

音楽シーズンが初まり心配していたが、やっぱり、ウィーン・フィルのメンバーは無事に
日本の舞台でいつも通りの美しい演奏で、日本人をなぐさめ励ましてくれた。
先生の御活躍も、日本からの栄誉に答えていらっしゃいました。

あの三月、私はフィレンツェ歌劇場の「連命の力」のチケットを用意していた。
しかし急遽帰国することとなり、驚きと落胆と無念ではございましたが
、致し難き事と理解いたしました。
偶然の事とは言え、運命に操られた出来事でございました。

しかし、東京では混乱は生じたものの、皆、冷静に行動し、協力し、分かち合いつつ、事の重大さを受容していました。
こんな時であるからこそ、酷な事ではございましょうが、日本に留まり、アピールしていただきたかったと思います。

世界の人々もこの現象に驚愕し、手を差しのべて下さいました。
愛のある行動は戦っている人々にどのように写るのでしょうか。
この不条理な出来事にある外国人は、ヨブ記(旧約聖書)を思い出したそうです。
ヨブのなげき、つぶやき、に思いを馳せた事でしょう。
息苦しいほどの悲しさ、つらい日々、怒りどこに向け叫んだらいいのか、
その気持ちを思うと、意志もなく自然と涙が流れました。
この世の不条理、無常を嘆いていてもいいのに、被災地の人々は、皆、毅然としてこの事実を受容し、助け合い、
協力し、文句や恨みがましいことも言わず、不自由な生活を過ごした。自衛隊、消防の人々
、医師団、技術集団、自治体、学生主婦、サラリーマン、外国の人々からも大きな支援をいただいた。
ボランティア精神は犠牲的精神を生じ、良きヒューマン・リレーションを築いた。
全ての人々の中で思い入れなどというものを超越した精神的な営みに支えられた行動であった。
失われた時間や物は永遠に取り戻せるものではないかも知れない。
しかし、その愛は崇高な人間の営みであり、良心の証を見た思いである。
物は失せても、心に残る良き所産は日本の誇りであり、人間の信念を見た思いである。
このすばらしき人々に感謝と心からの御礼を申し上げたい

東北出身の宮沢賢治の詩に

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らずいつも静かに笑っている・・・

とある。
結びには、みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、
そういうものに、わたしは、なりたい・・・

と、この精神は今の東北の人々にも息づいている。歴史的にも日本は天才、火災、戦いも多く
鴨長明は「方丈記」の中で、常なるものは無いという「無常」とい観念を記している。この観念は
日本の古典のみならず、外国文学、オペラ、過激の永遠のテーマともなっている。
プリマドンナは歌う”なぜ、このように試練をお与えになるのですか・・・”と歌い、舞台で独白する。

今回の災害は本当にふこうな出来事でありましたが、
私たちの人生に人間の生き方、あり方に大きな影響を与えました。
それぞれ真摯に受け留め、絆を大切に、より良く生きる事、
誰にでも人の喜びの為に出来ることがあることを学びました。

人間は生まれながら復命を与えられ、必要のない人など決していないことをより鮮明にしました。
その他の人々人は一人では生きられません。その他の人々の揚力、
風土の恵み、文化性、食物、水、空気など自然の大いなる恵みに支えられ、生かされているのです。
この地に生きとし、生けるもの全て、形而土なるものの医師に依って生かされていると実感した。
与えられしものに感謝し、身を尽くして、心を尽くして生きることこそ、天国に見送った全ての人々に報いることとなるであろう。
これからも精いっぱい、与えられし使命を大切に生きようと思う。
昨年は悲しいことに、二人の友人そして実母も二年前に見送りました。私は事あるごとに、自分自身に対する応援歌を口ずさみます。

”いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
すべてのことについて感謝しなさい”
           (テサロニケ)

これは、私の人生に対するテーマソングです。

今年もまた、水仙の花が半島に咲き揃いました。
岬から大海原に向かって、深呼吸すると馥郁とした香りが胸をいっぱいにし、
その香りは衣に寄りそいます。
河津桜はつぼみをつけ、濃い桃色は空気まで華やかにし、甘やかです。
冬は過ぎ去り、春がやって来ました。花街道の伊豆は陽光が降りそそぎ、季はめぐります。

かけ流しの湯と遊び、語らい、美味に舌づつみ、
アンチエイジングのために、箱むしサウナでシェープアップするのも
楽しいものです。年初に、眼福、口福の福々旅行はいかがでしょうか。

ジャンボ宝くじの撮影場所として、一昨年協力させていただきましたロビーを前にすると
「奥の間に・・・・・・」という例のカットを思い出されるかも知れません。

漆の八十八面の格天井に、漆喰の花々、それにつり天井、という伊豆の
職人技をご覧いただくのも一興です。

未だ、お寒さ残ります。どうぞ皆様お身体お愛い下さいませ。
お元気で、ごきげんよう。

2007年03月28日(水)  花半島は美しき爛漫の季
春を待ちわびておりますのに、春衣をまとった住人は、姿をかたくなにつぼめ、
ほころびとくれませんでした。
ようやく、来京を初めあちこちで“一輪、また一輪と”少しずつその姿を枝先に見つけ
見る人を喜ばせています。
待つ時は来ず、じれかかった頃におしみながら姿をあらわすなんて!

なんと恋心を知り尽くした花・・・・・。

咲き出したら少しでも長く目を楽しませ、喜ばせてほしいのに、
ある日突然風と共に去ってしまうのです。

毎年如月に入り、豆まきをし、おひな様を出す頃になると、
私は桜模様の着物や帯が恋しくなって身にまといます。

春の陽気にさそわれて、蓮台寺から車で30分の松崎の河畔に見事な桜並木があります。
山里を背に、ゆったり流れる川の流れに、桜のもも色が透き通る水に花影となり、島が浮かぶ。

借景が自然で素朴な風情が良いのです。

桜と平行して一方の片側の辺り一面は、春の小花がいっぱい咲き、
シャーベット色の青・黄・ピンクが可愛らしい風情です。
この世の憂きことなどを癒し、平安に満たされます。

又もうひとつのお奨めの春のスポットは、蓮台寺の鈴木邸の花桃です。
それはそれは見事で美しい桃季郷です。
宿泊して朝焼けのお散歩に丁度良い所です。
お帰りには吉田松陰の寄寓の村山邸を訪ね、湯の華小道をそぞろ歩き、
広台寺に出ると、山にしゃくなげがそろそろ咲き出します。

いよいよ花半島は美しき爛漫の季を迎えました。

2006年11月27日(月)  美しき音楽と時の流れの過ぎ行く様に…
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
プログラムB
11月7日於ミューザ川崎シンフォニーホール
モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K543
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調OP.92

その夜の巨匠=コラウス・アーノンクールは、能舞台に出てくる役者の様な少し気難しそうな面持ちに、人生を見据えるするどい眼光に、きりっとした口元で舞台に足を運び、やおら、キュヒル氏の前に足を止め握手した。
キュヒル氏は尊敬の中に親しみをこめ、お互いにやわらかい笑みを交わした。その情景に暖かい空気がホールに流れた。
今夏のザルツブルグ音楽祭に於いて、ウィーン・フィル・ハーモニーのモーツァルト演奏の5作品中2作品を10回も指揮している事を見ても、いかにメンバーの方々に愛され、信頼と尊敬の中、両者が良い関係を育み発展してきた事を直感した。
オーケストラの本領発揮のためには、指揮者と楽員の心と技が共鳴し、聴衆はその共有空間の中で、「音楽」という共通言語を媒体として、音の放射の中で魅了され、三位一体となって、音楽の持つ霊的とも言うべき一致の瞬間を享受する至福の邂逅に開花されるのではないでしょうか?
「芸術は全世界の人間のきずなである。」とバレンボイムは言っている。国籍、宗教、文化が異なっても、言語以上のコミュニケーション能力を発揮して語り、人々を結ぶ。全世界の人々に愛されているモーツァルト。その中でも「交響曲第39番変ホ長調K543」は、その具現化にふさわしい一曲である。
マエストロ・アーノンクールの指揮棒から紡がれる一音、一音はいつものウィーン・フィル独特な音色の響きで横溢され、ミューザ川崎というすばらしいホールに、その美しい澄みきった音色をくっきりと浮かび上がらせていた。やわらかい弱音は、空中に美しく舞い、残響となって天上に奏される。いかにも自然体で香り高く気品がある。情に流される事なく、本質を見据え、どのパートも知性と感性のバランスが良く、しかも暖かい。
古楽の指揮者としてのパイオニヤであるマエストロは、ゆるやかな間のとり方でエレガントで趣き深く、気高く、心に静謐さを秘めている事を窺わせた。
信頼する両者はその手法を熟知し、指揮は対話となり、神の御前に献上される音楽の花束になった。
形而上的なモーツァルトの音楽は、ただ単に才能ある人間のなせる技ではなく、神の特別な恩寵に恵まれ、その意思によって作曲されたと思う。
時代や国を越え、老若男女を問わず、聴く人々に喜びを与える。その音楽を通して、我々は時に神と対話しインスピレーションやメッセージを受ける。まるで教会でミサに授っといる様である。心は癒され、明日に生きる希望を与えられ、無の心に導かれ、芸術の中にあって、人生の真・善・美を内感させるものが在る。

近松の言う「虚実皮膜」の間に、芸術=人生の真髄を体感すべく、幻想と現実の狭間にさまよう。インジビブルな音楽や文学の精神性は、視覚的なものよりリアルに感性に訴える。時には人を哲学的な思考の森に誘う。
また、身体的には、音楽を聴くことによって前葉頭が刺激され、ホルモンの分泌を促し、ストレスを和らげ、リンパや血流の流れを良くし、アンチエイジングなど健康面でも効果的である。医師である息子達も「若さを保ち、健康で元気の素は、音楽である。」…と快く上京することを勧めてくれる。
ウィーン・フィルのメンバーの方々が、いつまでもお若く、お元気なのも頷ける。
マエストロ・アーノンクールもご高齢ではあるが、大変お元気で情熱的な指揮振りであり、健康に留意なされ、もっと度々来日なさって、その音楽に接する事を望んでいる。

この日の二曲目は「ベートーヴェン交響曲第7番」で、スケールの大きな、精緻な音の作りに貫かれていた。
この時期のベートーヴェンの移ろいゆく健康の不安や人生の苦悩、そして葛藤と逡巡が精神の彷徨を伴い、その苦しみを心の高みに昇華し、運命に対する受容と諦念となり、生きる事へのエネルギーを鼓舞し、力強く、激しく、オーケストレーションは繰り返され反芻する。魂のひだに重く響く交響曲で、私は文学を読み解くような気持と、深い音と対峙する。
年々歳々、同じ音楽を聴いても、歳の経過と共に思い致す事も変化するものである。
この夜、私の胸中に去来していたのは、あのベームの第7番であった。月日の流れの速さは驚くばかりである。
この夜の演奏も弦は言うに及ばず、金管、木管など全て渾身の力と技でマエストロに応え、見事な演奏であった。
マエストロは昨年「京都賞」授賞のため来日しているが、ウィーン・フィルとの来日は26年振りということです。
今迄アーノンクールといえば古楽、そしてウィーン・コンシェルト・ムジクスというイメージでしたが、彼は「20世紀半ば迄のあらゆる時代の最高傑作を照準にして取り組んでいる」…と言っている。古い方向ばかり凝り固まっているのではなく、音楽全般に強い関心を持っているということだ。
それを如実に物語っているのが、グラーツで毎年催されるシュティ・リアルテ音楽祭です。その近郊に建つ、シュタインツ城は彼のご先祖が住んでいたということですし、伯爵夫人である彼の母の実家であり、また、バロック建築で音響の素晴らしいシュタイツァー教会は彼のお気に入りです。
ここではモーツァルトのオペラを初め、ベートーヴェンの全交響曲も演奏されていますし、2007年の音楽祭では、ハイドン、シューベルトも視野に入っているということです。

“時よ止まれ”…と思いつつも、終演を迎え、会場を後に…。
やおら歩を進めていた時、なんと、キュヒル先生の奥様にお声を掛けられてびっくり。令夫人はいつもチャーミングな笑顔の美しい方で、先生を蔭から支えていらっしゃり、日本とオーストリアの友好に貢献しておられるおひとりです。
先生の今後のスケジュールやお嬢様方の事を伺い、ウィーンのお宅で御家族と最初にお目にかかってから20年余り、美しく立派に成長されたお嬢様方に、きっとキュヒル先生もあの人なつこい御目を細めていらっしゃるのでしょう。・・・などと想いをめぐらせ、時の流れの過ぎ行く様に嘆息−。
気をとり直して、伊豆の人となりました。
喜心と感謝の中に。

2006年07月24日(月)  今宵はなんて楽しい日 オペラそしてサッカーと・・・
ヨーロッパの6月は、緑あふれ美しい季節、日は長く観光にもスポーツにも適した時期です。
特に、W杯サッカーが開催されたドイツの黒い森周辺のバーデン・バーデンは、中高年の人達やマダムには人気エリアで、若者達で混み合うサッカー場周辺を避けて、バーデンで入浴、散歩、グルメそして観劇など楽しんだ事でしょう。

さて、W杯サッカーはイタリアが優勝を飾り歓喜とほろ苦さを残し、宴は終演した−。

ベッカムのシュートに喜び、数々の見事なパフォーマンスのクローゼに驚き、中田の引退に胸を突かれ、おまけにジダンの例の件である。

中田のグランドでのあの姿に、何かは予感していたとは言え、大きな決断であった。彼の空虚感と孤独感からの苦悩と逡巡は、彼を傷付けストレスとなったのであろう。しかし、彼にはそれらを乗り越える力があればこそ、与えられているのだと思う。彼の意志力と実力、そして心の成熟さは、自ずと結果としてついて来るであろう。

予期せぬ出来事は人生につきもの・・・とは言え、まるでオペラのような展開のサッカーであった。

ある作家は<サッカーの本質を見た>とジダン事件を表現していた。サッカーの中に、政治、民族問題、経済情勢などが垣間見えてくる。個々の選手の人格やら自出に至るまで、又、国家成立の過程に至る歴史と民族のアイデンティティまで考える機会となった。技などプレーにはペナルティがあるが、言質にはそのリスクがその場では反映されない。今回の一件は教育現場や家庭で話し合うチャンスを与えられ、事々は反面教師となり、様々な教訓となった。

高ぶる気持ちを抑え込み、眠りについた日々の6月は、私にとってはオペラ鑑賞の日々でもあった。
上旬はニューヨークからメトロポリタン歌劇団、中旬はイタリアのボローニャ歌劇場を楽しみました。

さて、今回は6月14日、東京文化会館「イル・トロヴァトーレ」を記します。

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲
ボローニャ歌劇場・同合唱団
指揮 カロロ・リッツィ
演出 ポール・カラン

当日、会場入りし、まず目に飛び込んできたのは、紗幕に青白い大きな月のシルエット。このオペラをシンボライズする道具立てとしての演出手法である。イタリア・オペラでは「ランメルモールのルチア」や「ルチア」など、月にまつわるモティーフを、上手にイメージ化して演出しています。

何か不可解な事が起こる満月の夜、このオペラのテーマは憎悪と愛、嫉妬と復讐など、単なる情熱のオペラではありません。人間の心の表裏、心の闇、原罪ゆえの人間の弱さ、悲しさなどを読み解き、文学、歴史、民族特性を合わせて聞くと、又数倍楽しめます。瞬時に知識を導引し、心を澄まし、耳を傾けて聞くと、オペラが心に入ってきます。心の闇をあやつっている象徴としての月の神秘を、照明、色彩、衣装で人物と物語の構成を表現しています。

イタリア・オペラは造形力にすぐれ、抜群のセンスで、どの演目も超一流の歌手を
揃えて組まれています。私にとってのオペラは、人生の喜び、楽しみ、生き甲斐であって、心の癒しと健康に取っての温泉と同様、私の人生を形成するエレメントであることは事実です。

オペラ設定は十五世紀のアラゴンとビスカーニャです。イベリア半島の上部、ピレネー山脈からスペイン越え辺りの地域です。

主要登場人物
レオノーラ(公爵夫人付女官) ダニエラ・デッシー
マンリーコ(吟遊詩人、実はルナー伯爵の弟) ロベルト・アラーニャ
ルーナ伯爵(アラゴンの貴族) アルベルト・ガザーレ
アズチェーナ(ジプシーの老婆) マリアンネ・コルネッティ

以上の通りの豪華な顔ぶれです。

ヴェルディ中期の三大傑作「椿姫」、「リゴレット」、「イル・トロヴァトーレ」は、世界的にも人気のあるオペラです。
初演は1853年のローマで、150年余り前の丁度、黒船来航のあの時代の頃です。当時のエンターテイメントの少ない時代に、オペラもサッカーも、どんなにか人々を楽しませ、喜びを与えた事でしょう。ボール1個で達成感や躍動感を味わえ、教育的にも大切なものを学べます。
一方、オペラは大人の娯楽として無論の事、社交の場であり、情報拾集や時に出合いを演出する空間でもありました。

昨今では高額チケットの故か、中高年層で埋め尽くされ、老人会?・・・と思ってしまいます。ウィーンの様に、学生券で安価に音楽に接する機会を与えられたら幸いに思います。豊かな気持や詩心が美しいメロディーと共に醸成され、言語を大切にし、情操教育の一貫にもなる事でしょう。

さて、簡単なあらすじを御案内致しましょう。
 
■第1幕(決闘)

15世紀のアラゴン、先代ルーナ伯爵には2人の息子がいた。
兄は現伯爵のルーナ、弟は行方不明である。

公爵夫人付女官レオノーラに思いを寄せる兄のルーナ伯爵、しかし、レオノーラは吟遊詩人のマンリーコ(実はルーナ伯爵の弟)に恋している。

それを知ったルーナ伯爵とマンリーコは決闘になる。
レオノーラは戦いで、マンリーコは死んでしまったと誤解する。

■第2幕(ジプシーの女)

ロマ人のアズチェーナの母は、昔、赤子だった先代伯爵の弟君に、呪いをかけた疑いで火刑にされた。

その際、娘のアズチェーナは、母に対する復讐のつもりで、伯爵の弟である赤子を火に投げ込んだつもりが、間違って我が子を火に投げ入れてしまったのだ。

その後、アズチェーナは現伯爵の弟である赤子マンリーコを自分の子として育ててきた。

一方、レオノーラは決闘で愛するマンリーコは死んだ・・・と思い込み、修道院に入る決意をする。伯爵はその事を知り、レオノーラの略奪を計画し修道院に行く。

そこに、マンリーコが現れ、レオノーラを連れ出す。

■第3幕(ジプシー女の息子)

伯爵の陣営では戦い準備、そこに息子マンリーコを探しに来たアズチェーナは捕まり、引き立てられる。

マンリーコの母と知った伯爵は、彼女をおとりにして、マンリーコを誘き寄せる。

しかし、マンリーコとレオノーラは結婚式を挙げようとしている。そこへ、母が火刑になるという知らせに飛び出して行く。

■第4幕(処刑)

囚われ人となったマンリーコと母、塔の下では救出の為、レオノーラが自分の身体と引き換えに、マンリーコの命ごいを伯爵にする。

伯爵は自分のものになると喜び承知、しかし、レオノーラはマンリーコに操を守る為、毒を飲む。

それとも知らずマンリーコは、レオノーラが伯爵に身を許したと誤解し、その不貞を責める。

しかし、毒を飲んだと知った時は、既に手遅れで、レオノーラはマンリーコを熱愛しながら死んで行く。

伯爵は怒り、マンリーコを処刑、それを知った母、アズチェーナは<あれは、お前の弟だった>・・・とわめき叫ぶ。

<復讐は終った>・・・と天を仰ぎ絶叫するロマーニャの老女の勝ち誇った態度。

伯爵は呆然として立ち尽くし、事の真相に驚愕し、歎き悲しむ中、<復讐は終った>・・・という叫び声とクライマックスの響きが、空しく劇的に鳴り渡る。

以上があらすじの要約です。

オーケストラのおどろ、おどろしいティンパニーの連打に続いて、華やかなファンファーレ、短い印象的な前奏に躍動する旋律美を象徴する響きは、いつもながらのイタリアオペラらしい音の流れであった。

その日のオペラの出来は、主役の第1声を聞いて大体類推出来るが、最初から最高の状態に調子を持っていく為に、楽屋でも声を暖めて備えます。

この夜のアズチェーナ役のコルネッティの出来がすばらしい。なめらかに転がしながら、この暗いイメージの因縁話を説得力ある演技と迫力、そして低音を効かせて、難曲を表現、影の主役であった。

マンリーコ役の美男のアラーニャーも情熱的にロマンティックに運ばせ、暖まった声で良く響いていた。

人間の声は楽器よりデリケートで、身心共に健康管理が必要とされます。今回、オフ・ステージから移動しながら歌う演出が多用されていたが、立体的で効果的であった。

「私の心は嫉妬の為に」は、アラーニャー、デッシー、ガザーレの三重唱の掛け合いで、テノールとソプラノはハイCで慣例的に歌われ、ヴェルディらしい旋律と躍動感で会場を沸かせた。

合唱曲として有名なジプシーの仕事歌「アンヴィル・コーラス」は、単純に陽気に歌うのでなく、放浪の民としての宿命的な悲しさ、やるせなさを表現し、聞く人の心に訴える。

バック・コーラスがすばらしいとソロの部分がより栄えて楽しめます。ロマーニャの老女の歌うセリフが又面白い。

要約すると・・・
<おいらはジプシー、空が家の屋根なのさ・・・ おいらが行く処、どこでもおいらの故郷さ・・・>と大空を仰ぎ、ゼスチュアたっぷりに歌うロマーニャの老女。

次にアズチェーナ歌いの真価が問われる最大の聴かせどころの「災は燃え」も、テーマである復讐を説得力を持って、呪わしく、思わず首を振ってしまう話の展開を、魔性的に、災に焙られ、胸に潜む復讐をたっぷり表現。

前半のリュート奏でる叙情的な満月の夜のロマンティック性に比して、赤子を取り違い、火に入れるという呪わしく恐ろしい因縁話のオペラで、歌曲も物語の展開も面白い。

舞台の造形力、色彩感覚、衣装とセンスの良い感性はイタリアオペラの真髄を呈している。今回のルーナ伯爵のガザーレは前回の「リゴレット」が好評で、その理知的で美しい声の響きで、見事なバリトンを聞かせた。

デッシーは魅力的な容姿と声の持ち主で、レオノーラ役をリリックとドラマティックな部分を上手に使い分け、愛の為なら死ぬ強さと、恋する女を声楽的にも演技的な面でも、プリマとして、<恋はバラ色の翼に乗って>まで歌った。

アラーニャの<ああ、愛しいわが恋人よ・・・>から<見よ、恐ろしい災を>まで、甘く、時に激しく、ハイCで高らかに華ある容姿から繰り出される高温を轟かせ喝采を受けた。

歌手として冥利に尽きる瞬間である。

オペラは長時間に及ぶ事が多く、お腹がすきます。ウィーンでは「ツェムリンスキー」というグラーベン通りのサンドイッチ屋で、ちょいと一口サンドをつまんで出掛けた。

幕間には、「ベリーニ」というシャンパンオレンジとホテルザッハ特製のカナッペを戴くのが楽しみで好きであった。

ボローニャ歌劇場では「フォワイエ・ロッシーニ」でお食事が予約出来るそうで、オペラと食るが楽しめて羨ましい限りである。さすが美食の町、ボローニャで「劇場で晩餐を!」という事なのでしょう。

この「イル・トロバトーレ」は「マクベス」や「オテロ」と同様、人間の嫉妬、原罪を持つ人間の弱さとあわれ、どうする事も出来ない人間の業など、苦悩と世の不条理はオペラだけの世界だけではなく、サッカーでも、現代社会のあらゆる場面に表出する事象である。

人の心の奥底に潜むχに、あの頭突きの場面を重ね合わせ、今改めて、人間の弱さにあわれを感じている。

そんな私の心を癒してくれたのは、合唱「ミゼレーレ」(聖書の詩篇)で、オペラの中で歌われた、<主よ、あわれみたまえ・・・>と教会で良く唱える清らかな美しいハーモニーで、心に静かにくり返し、沈殿していく響きが、心に残響として深く刻まれた。

クアハウス石橋旅館 女将

2006年06月12日(月)  異文化とマナー
先日の黒船際の際、市の要請を受けて、日本在住のアメリカ人の高校生のドリル・チームを、
2泊3日で50数人宿泊をお引き受けしました。
今迄外国の個人及び20数人のグループや家族は多く宿泊いただきましたが、連泊で
全員が言語は英語のみという団体は初めてでした。
オープニングセレモニーに初まり、連泊のお世話と先生及び市役所のスタッフとの打ち合わせ、
お別れのセレモニーと、終了するまで神経を使いました。
彼等を見ていて、それぞれの任務や使命に対して全力で頑張っている姿は、とても気持ちの良いものでした。
日本語が話せませんので、お風呂の入り方やマナー等英語で説明させて戴きましたが、
とても良いマナーで出来たと感心いたしました。
特にクアハウスのバーデゾーンの使い方も脱衣所もきれいでした。
日本旅館ではお風呂の使い方や館内でのマナーは文化、習慣、育ち方、
家庭でのしつけ等の反映が如実に表れるものです。
以前テレビであるフランスの有名女優の結婚インタビューの際、彼女曰く
“彼はバスの使い方が私の好みで、彼となら一緒に暮らせると思った”
……と答えていました。
日常茶飯の事象に対してさえ、とてもセンシィティブな感性を持ち、それ故に彼女の芸を深め、
目線の持って行き方、手の動き、品の良い口元等、美しいエレガントなビサージュを持つ女優として
称賛されているのでしょう。
彼女の嗜好の片鱗を垣間見た思いで妙にうなずいたのを思い出しました。
たかがお風呂であり、されどお風呂なのです。
いで湯あふれ、緑そよぎ、のどかで平和なこの地は、遠くには伊豆の山々、
近くでは今、盛りとジャスミンの花が香り、
六月の中半には紫陽花が目を楽しませてくれます。
日帰りでも花を愛でて、温泉も美味で堪能出来ます。プチ旅行はいかがでしょう。
皆様お元気で又のお目もじまで。ごきげんよう。

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伊豆 下田 蓮台寺
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